たのしい偶像崇拝

Hey!Say!JUMPが好きなちななのブログ*担当は知念ちゃん*

はじめまして。

はじめまして、ちななです。担当は知念ちゃんです。今回はブログははじめてなので、私なりのじゃんぷだとか、ファンとしてについて語ってみようかと思います。

私は、2007年〜2012年の間じゃんぷのファンしており、そのあと今年の3月までじゃんぷのファンをお休みしておりました(その頃も知念ちゃん担です)。そのため、ファン歴は短くないのですが、最近のことはあまり詳しくなかったりします。そこは、ご了承ください。

まず、私がどうしてじゃんぷを一度降りたのかについてお話したいと思います。それは、率直に言うと、自担の成長についていけなくなったことと、じゃんぷの中の格差に嫌気が差したからです。知念ちゃんは当時成長期で、私が最初彼を見た2007年の頃の容姿と随分かわっていくのが、目に見えて分かりました。声はもちろんのこと、顔も性格も変わっていくのが見てて辛くなりました。彼が、少しずつ、私の愛した彼ではなくなってしまう…、そんな恐怖心に私は耐えられなくなったのです。そして、もう一つの理由であるじゃんぷの中の格差。それはあまりに残酷だったように思える。私の担当は知念ちゃんで、まだ恵まれた方ではあったものの、映るのは山田氏ばっかり。じゃんぷには才能のある人がたくさんいる。なのに、なのに、映してもらえない焦燥感。それがまだ若かった私の心をズタズタにしました。次第に私は、山田氏がじゃんぷを置いていっているようにしか見えず、彼が苦手になってしまったのです。今思えば彼も悩んで努力して大変だっろうに、そんなこともわからなかった自分はすごく若くて馬鹿だったのだな、としみじみと思います。
そんなことを経て、私は戻ってきました。その理由は、知念ちゃんを改めて数年経って成長した彼を見てみても、やはり彼は私にとって可愛くてたまらない存在であり、愛おしくたまらない気持ちにさせられたからです。彼の成長は目まぐるしいものであったものの、変わってしまった彼も私にとっては変わらず天使でしかなかったからです。そしてもう一つが、じゃんぷの中の格差が和らいでいたからです。今でも確かに格差はあります。しかし、あの頃に比べたら随分と少なくなりました。そうしてるうちに、また彼らを、彼らの軌跡を追いかけたくてたまらない気持ちになったのです。

また、私はアイドルを好きでいることは偶像崇拝をしていることと同じだと捉えています。彼らが私たちに見せてくれているきらびやかな姿はあくまで偶像で、その偶像とは、別に生身の彼らがいると私は思っています。生身の彼らに時々、私達が触れる機会があります。それは、雑誌のインタビューや、熱愛報道であったりします。その中に、生身の彼らに幻滅してしまうような面もあるときがあります。でも、それは当たり前のことで、私はそれを受け入れ赦すことが大事だと思っています。赦しこそがファンとしての最大の愛だと思っています。私はそれこそ、生身の知念ちゃんの成長に幻滅をし、一度担降りをしました。それはすごく阿呆らしいことだったと今は思います。赦してすべてを受け入れ、一度遠くに離れて見てみるとなんでもないことだったとわかることだってあるのです。私はそのようなポリシーでファンをしていきたいと思っています。

今回、読んでくださった方、長々と駄文申し訳ありませんでした。これからも、このブログをよろしけお願い致します。